ガイドクラブの登山(霞沢岳) 2001.10.1〜3
 恒例のガイドクラブの研修登山。研修と言うよりも自分達の好きな山、それも一般ルートではないコースを歩くというのが本当のところ。ここ数年、仕事や行事と重なってなかなか参加できず、仲間達の苦労話(自慢?)を聞くだけで我慢してきた。今回は運良くボランティアの研修会がボツになり内心喜んでの参加である。しかも、本当に久しぶり(20年前)の奥穂高岳でもある。メンバーはF隊長以下総勢6名、いずれも懲りない面々で数々のエピソードを持った人たちばかりだ。F隊長の経験豊富さとどうにかなると言う自信がかえって不安にさせる。一般ルートでの体力には自信があるのだが・・・・・・。
 今回のルートは、1日目が上高地から西穂山荘まで、2日目は西穂高岳、奥穂高岳を経て穂高岳山荘、3日目は吊尾根、前穂高岳、岳沢を経て上高地へ降りる予定となっていた。初日が3時間程、2、3日目も難コースであるが一般コースでもあるので今回は大丈夫だろうと高をくくっていたが、である、天候が予報に反して大はずれ。1日目の雨は予定通り、2日目が晴れて気分良く岩場の稜線を歩けるはずが雨、しかも強風である。これでは稜線は危険と言うことで急きょ予定を変更、上高地に下り徳本峠小屋まで入り、翌日霞沢岳を登る事になった。

 上高地に下りた頃には雨も止み雨具を脱ぐ。10月に入っても雨具を付けると汗だくだくになる、暑い!でも冷え込んだら雪になってしまうので、それはゴメンだ、我慢しよう。久しぶりの上高地は以前に増して綺麗に整備されて、小奇麗な服装やアウトドア雑誌のモデルが歩くのにふさわしい雰囲気になっている。ヨレヨレ状態で歩くにはちょっと恥ずかしい。河童橋も相変わらず観光客が多い。
 明神池を過ぎ直ぐ右の徳本峠への道に入ると急に人通りは無くなる。分岐点に「宿泊される時は連絡していただければ幸い」の看板があり心配になり携帯電話を出したが圏外の表示、仕方ないのでこのまま強行。途中でオバチャングループを抜いただけ(あとから必死に追いかけてきたが、ガイドの面子にかけても引き離す、途中で諦めたようで見えなくなる)、本当に静かな登山道だ、MTBでも大丈夫そう、紅葉も始まり我々の目を楽しませてくれる。


徳本(とくごう)峠は以前から気になっていた所。釜トンネルができる前は上高地に入る唯一の道で、猟師達や上高地を世に知らしめたウエストン氏が通った道でもあるわけです。交通規制はあってもバスやタクシーで入るのが一般的、でも根強いファンはいるもので、収容30名の徳本峠小屋は今日も20名のお客さん。電気もなくランプの薄暗い灯りが現実を忘れさせてくれるし、時が動かない空間を創り出している。時を重ねても変わらないもの、我々の目には見えないモノがここにはあるようだ。多い時で60名も入ったと聞き、「何処に」と驚きながらも、それが解る気がする。人間が、誰しも(たぶん)持っている原始的なDNA、「暗くなったら寝て休む、明るくなったら起きて働く」これが自然とできてしまうのだから不思議だ。幸いにも、私にはまだこのDNAが残っているようだ。こんな機会が無かったら来なかったかもしれないし、またいつか訪れたいと思ったのは私だけでしょうか?ランプの灯りの元で食べた美味しい食事と、満月の月明かりで見た明神岳が印象的だった。


今日は良い天気、朝もやの中にたなびく小屋の煙を眺めながら、これからの行程を予想する。F隊長が言った「八右衛門沢を降りる」が少し気になる。登り4時間、下り3時間、たいした時間ではない。が、標高差400メートル登って200メートル急降下、そしてまた400メートルの急登。嫌なタイプである。上り下りが繰り返されるのは精神的にも疲れる。せっかく登ったのだから降りないで欲しい。でも、今日は体調も良いのでそれが気にならない、足首靭帯損傷も完全復活か!
 霞沢岳は3つのピークからなる山、K1、K2、そして本峰のK3に至る長い稜線を持っている。あえぎながら登った初めのピークK1で待っていたのは360度の大展望。目の前の穂高連峰、焼岳、白山、乗鞍岳、御岳、中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳、そして富士山も・・・・・。しばし言葉を失うほどの至高の一時、だから山登りはやめられない。
今回予定していたコースを眺めるとは思っていなかったが、
その迫力に圧倒される。再度挑戦しよう!


紅葉前線が山を駆け下っています。岳樺の黄色、ナナカマドの燃えるような赤、シラビソの緑が本当に綺麗です。 飛騨側はたおやかな山並み、幾重にも重なる稜線がやさしさと光の芸術を見せてくれました。


頑固にそそり立ち、今尚、噴煙を上げている焼岳。大正池
を埋め尽くしてしまう流砂は凄い、自然の力は想像を絶す
る。

 いよいよ下山、しかし、小屋の主人に聞いた降り口が見つからない。F隊長が再度、携帯電話で確認するが確定できず。八右衛門沢の位置だけが確認できたので、みんなの協議の上で下山を決行。しかし、こんな所で携帯電話が使えるなんて本当に便利になった。でも、電気も通っていない小屋で電話だけが通じることもおかしなものだ。
K1ピークにいた登山者が「こんな所を降りていくなんて無謀だ、一体お前らは何者なんだ!」と言う顔をしている前を我々はハイマツ帯の中に突入。「自分だけならこんなことは絶対やらないだろうな、岩登りの達人、F隊長がいるから大丈夫!」と思いながら。先頭を行く仲間の姿も見えないくらいのハイマツ帯をやっとの思いで抜けると、今度は足元の小石が音を立てて流れてしまう急なガレ場、まだまだ緊張の連続。なにしろ、転んだら下まで落ちてしまうだろう急勾配、気は抜けない。道跡らしきものもあったけど、到底コースとはいえない。登山者が通った気配も全然なし、多分何年か前の地震で崩壊してしまったのだろう。いったん、広い緩斜面に出たので休憩を取る。緊張の連続だったので、みんなの顔にも安堵の色が。高度計はまだ2300メートル、まだ300メートル降りただけ、あと上高地までは800メートルある、目の前に見える赤い屋根の帝国ホテルがまだまだ遠い。


コースも半ばを過ぎる。比較的しっかりした岩場になり景色を眺める余裕も出てきた。西穂高の稜線もだいぶ高くに見え、谷の両岩壁の紅葉が素晴らしさを誇っているのが確認できるようになる。しかし、そこに落とし穴が。自分の不注意で大きな浮石に乗ってしまったのだ。落ちたと同時にその石が自分の足に乗ってしまい、側面から強制ストレッチ状態。「痛い!」自分ではその石を取り除くことができず、直ぐ仲間の手を借りる。春先に左足首の靭帯を損傷したばかり、直感でまたやってしまったことがわかる。今度は左膝だ、後悔が頭の中をぐるぐる駆け回る。屈伸運動をしても痛みがある、でも何とか歩けそう。「下に降りるまで何とか持ってくれ!」と念じつつ、後は景色も何も目に入らず、ただ歩くだけ。仲間にストックを借りて、スローペースで、そして惨めな気持で。


※ 実は夕べ、徳本峠小屋で夢を見たのです。普段あまり夢を見たことが無いのですが、死んだ親父が出てきて「お前、あんまりスピードを出すな!」と車の運転を注意されたのです。まさに、正夢、怪我をしたときの状態は調子に乗り、スピードを出しすぎていたようです。注意が散漫でした。でも、これだけで済んで、大事に至らなかったのは親父のお陰かもしれません。不思議な出来事でした。


沢の後半になってもなかなか良い状態にならない。かえって、落差のある岩壁が出始める。最初は高巻きでクリアーできたのだが、とうとうザイルを使わなければならない滝に遭遇。カラビナ、エイトカンを出し皆に確保してもらい無事降下。ここで、岩登りの訓練があるとは・・・・・・・・。


何とか無事に下山。体力的にはまだまだ余裕があるのに、足取りは重い。やっぱり、結果が全て。最後でつまずくとは・・・・・・。
でも、考えてみれば、良くこんな所を、この足で降りて来られたものです。「早く直して、また登りたい!」 もう、次に登ることを考えているなんて、私も全然懲りない面々に加わってしまったようです。
F隊長始めガイドクラブのみなさん、「お迷惑をかけました、お世話になりました、ありがとうございました!」
山は良い、素晴らしい、また登りたい!
     
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